伊東正義先生
東日本大震災から3ヶ月経ったと言うのに、いつまで経っても国民の気持ちが分からない政治家達
永田町は菅降ろしで忙しいみたいですが、今の総理大臣が変わった所で何も変わりはしないはず
政治家の中で僕がもっとも尊敬する伊東正義先生が言った「本の表紙を変えても、中身を変えなければだめだ!」の状態。
学生の頃は親父に「伊東正義は会津が生んだ偉大な政治家で、会津出身で総理大臣に一番近づいた人間だ!豪邸にすんでる政治家が多い中で、雨漏りするような質素な家に住んでたんだぞ!」と良く聞かされたものです。
伊東正義先生の主なエピソードとしては、
第二次大平内閣で、内閣官房長官として親友である大平正芳首相を支え、大平首相が首相期間中に急逝した時には、内閣総理大臣臨時大臣に就任。
しかし内閣総理大臣臨時大臣期間中、周りがいくら勧めても首相執務室に入らず、官房長官室で執務を続ける。
その後ポスト大平の候補に挙がりながらも、親友である大平の死の直後と言う理由でこれを固辞。
リクルート事件で竹下登首相の退陣後、有力総裁候補に挙がるも「竹下首相、中曽根前首相、安倍幹事長は一度議員バッジを外してけじめを付けるべきだ!」と主張したものの、受け入れてもらえず「本の表紙を変えても、中身を変えなければだめだ!」と言って固辞。
バブル真っ只中の日本で、大臣経験者が雨漏りするような家に住んでた事は有名な話し。
死後叙勲の話しが出るも、夫人は故人の遺志としてこれを固辞。
伊東正義先生は2度あった総理大臣のチャンスを自ら蹴った訳です。
金や肩書に執着する政治家ばかりの中で、このような素晴らしい政治家が会津から出た事を、同じ会津人として誇りに思うし、今後伊藤正義先生のような会津魂を持った政治家が、会津から出てくれる事を望みます。
下の写真は鶴ヶ城の近くにある伊東正義先生の銅像です。