友の分まで
今日は亡き親友の命日でした
早いもので親友が25歳という若さで交通事故で亡くなって14年が・・・・・
人を疑う事を知らず、世の中にこんなに純粋な人間がいるのか!?と思うくらいに本当に純粋で、男のくせに寂しがり屋な奴で、暇があっては自分の所に遊びに来て、良く一緒にバカな事をしてました
自分が仙台に住んでた時、急に電話が来て、「今暇なんだけど・・・・・何してんの?」と言うので、「だったら仙台に迎えに来て!」と冗談で言ったら、吹雪の中本当に会津から車で迎えに来ました
自分の事を凄く慕ってくれ、自分の事を信じてくれてたのに、その親友を助ける事ができなかった・・・・・・
親友が死んだ時に、「寂しがり屋なあいつの事だから、一人じゃ寂しくて直ぐに自分の事を迎えに来るだろう・・・・・・」と思ってたのですが、中々迎えに来ない・・・・
あいつの事だから、かなり寂しがってると思います・・・・・・・・
その親友が亡くなった時に思ったのが、死んだ人間が生きた証を作れるのは、今を生きてる人間だけ
自分が親友の生きれなかった分を生きて、親友の生きた証を残そうと思って14年生きて来ました
いつか自分もあっちに行った時に、親父とその親友に、「良くやった!」って言ってもらうのが自分の生きてる意味です
本当に寂しがり屋だったので、いつ迎えに来られてもいい様に、毎日を精一杯生きようと思います
Requiescat in Pace TAKUYA!
こんな事はブログに書くような事では無いと思いながらも、毎年11月13日になるとブログに書こうか書くまいか迷ってたのですが、どうしても親友である卓也が生きてた証を残したいと思って書いてみました